エッセイ,  小説,  読書

芭蕉の杖跡 おくのほそ道新紀行 

図書館で新しく入荷したばかりの本か、人気がなくてあまり借りられていない本を敢えて借りてみようというこの企画。

今回選ばれた本は森村誠一さんの「芭蕉の杖跡 おくのほそ道新紀行」です。

我が町の図書館には去年置かれたばかりの本ですが、おそらく借りた人は私が初めてでしょう。それくらいほぼ新品同様で置かれていました。

芭蕉関連の本なんてどれも人気が出そうなものなのに、この本はなぜ長いこと新品同様で置かれていたのか。

早速読み始めることで見えてきたその理由と本の感想について記載していきます。

芭蕉の杖跡 おくのほそ道新紀行はとにかく読みづらい

この本の概要は簡単に行ってしまえば、著者である森村誠一が現代の公共交通機関を使って芭蕉の足跡を辿ってみた!というお話。

そして行く先々で芭蕉と同じ場所で俳句を読んだり、地域のお偉いさんたちと交流したりして過ごし、芭蕉の心情や当時の様子に想いを馳せている。

ただ、まず最初にこの本を読んでみて思った感想。

とにかく読みづらい!!

というのも地域の固有名詞や仏教用語、俳人特有の表現が多すぎて漢字の読み方が難しいものばかり。

だからとにかく読み進めるのに時間がかかる。

特に東北地方の川や山、神社仏閣の名前なんて知らないものばかりなので(行ったこともないし)読み方が分からないものも多い。

さらに周りの景色などを詳細に記そうとはしてくれていますが、俳句特有の抽象的な表現が多いせいか、文章を追っていてもその場所の描写が頭に浮かんで来ない。

まあ本の題名にわざわざ“杖跡“なんて、一般的にほとんど使われない単語を出してきている時点で察し…ですよね。

また万人向けする文体ではないと思いますし、途中途中で挟まれる俳句は良いと思ったけれど、文章になると途端に魅力が半減していると言っても過言ではない。

最後の方が駆け足?

そして何より一番気になったのは、新潟旅の章と北陸旅の章の間に、“不易流行“という最後のまとめに出てくるような章が唐突に割り込んできたこと。

しかもそこでは、まだ紹介しきていない芭蕉の俳句とその場所の詳細についてがまとめられている。

普通は旅が終わった最後の章に入れるものですよね?

だから新潟までの旅で終わるのかなーと思いながら読んでいたのに、その後からは何事もなかったかのように、北陸への旅が続く。わざわざここで、最終章を入れた意味が分からない。

筆者は行く先々で市長や地元の方々から、様々なおもてなしを受けながら旅をしていたけれど、石川県内ではそういった接待が一切なかったので、わざと間に最終章みたいなまとめを入れて区切ったのかな?なんて考えちゃうくらい。

さらに、旅の行程も最初の東方の方に比べると駆け足感が否めない。というか全体的に一緒に旅したお偉いさん方の都合を優先して動いていたせいか、芭蕉が訪れた季節とは全く異なる時期に旅しているし、漂白とは真逆の時間に追われる旅行感が出てしまっているのも残念だった。

でもこの本を読んで、俳句や芭蕉にさらに興味が沸いたのも事実。

様々なテーマのブログ記事更新中↓

毎日の暮らしや趣味の読書や旅行について綴っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です